【第3話】こんな家建てるんじゃなかった3

FP藤井です。

実話として母親が放った

【こんな家建てるんじゃなかった】

藤井の実話をシリーズでお伝えしています。

第1話はコチラ

【第1話】こんな家建てるんじゃなかった。

第2話はコチラ

【第2話】こんな家建てるんじゃなかった。

我が家のお金が原因で
7年間部活動として続けていた

『高校バスケットの全国大会』

僕だけが行けなかった事がキッカケ

でいわゆる非行の道に歩み始める。
(スラムダンクでいう三井的な)

タバコを吸って粋がってみたり、
ヤンチャな友達と連んでみたりと、
お決まりの悪い道に進み始めた・・・

その頃からだったと思うが、

【僕と両親との関係の悪化】

も去ることながら。。。

それ以上に大問題だったのが、

【父と母の夫婦関係がドンドンと悪くなる】

という事だった。

当時6歳の弟は・・・

 

両親が喧嘩しそうになると
“敏感に察知”したのか?
僕の部屋によく『避難』していた。

両親がよく喧嘩をするようになり、
暴力的な事こそなかったが、
いつも家の中はどこか
ギスギスした雰囲気だった。

実は母親は僕が

『僕がバスケットを辞めたこと』

よほどショックだったらしく、

学費やローン・税金の支払いなど、
支払いに対するストレスが掛かると、
無意識的に父親へ攻撃的な
モノの言い方をしていた。

ある時、帰宅途中の車の中で

両親同士が今までに
ない勢いで大喧嘩

に発展した事があった。

原因は全く憶えていないけど、

『父の収入への不満』
『現実の支出の多さ』

に対する母から父への
不満みたいなもの
だったんだと思う。

軽自動車の中で、
父親と母親が大声で
怒鳴り・罵り合っているのを
後部座席から見ていると、

隣に座る6歳の弟が
僕にしがみ付いてきて、

『お父さん!お母さん!
 また喧嘩しないでよー』

ちょっと異常なぐらい
『ギャーギャー』と
泣きわめいていたのを
今でもよく憶えている。

そんな車での大喧嘩の末、
母親が泣きながら一言。

「こんなに(お金で)苦労するなら、
 あんな家建てるんじゃなかった・・・」

 

かなり衝撃的な一言でした。

 

【そもそも何の為に家を購入したのか?】

それは間違いなく
『家族の幸せのため』だったはず。

その『マイホーム』が家計を圧迫して、
家族を苦しめてしまう事があるなんて。

子どものやりたいスポーツまで
やれない事があるなんて。

6歳の弟を過敏な
精神状態に追い込むなんて。

本末転倒すぎでしょ。。。

当時は、
一種の“怒りと憎しみ”を
抱えながら両親を痛烈に
非難したこともあった。

 

しかし、

『僕自身もひとりの父親』

になった今だからこそ
思う事がある。

当時の両親の心境を推し量ると、
なりたくて『お金の問題』で
苦労したワケではないと
はっきりと理解出来る。

『子どものやりたい事』を
せがまれてもやらせたあげられない現実

『経済的な選択肢の少なさ』
に嫌気のさす日々

お金が原因で
『頻繁に摩擦が起こる夫婦関係』

両親のココロの状態を
『子どもは敏感に察知』してしまう事

そういった当時の
心境に思い浮かべると、
目頭が熱くなり涙が溢れ出そうになる。

それと同時に、

そんなタフな状況下でも、
僕と弟を一生懸命に支えてくれた
両親には感謝しかない。
(当時は恨みや憎しみを抱えていたけど)

いろんな意味で、

『長期呪縛を抱える住宅ローンとお金の問題』

長年走り続けた両親ですが、

再来年でようやく
住宅ローン返済の終わり
を迎えようとしています。

藤井
「あともうちょっとで、長年お疲れ様でした。になるね!」

と伝えると、

母親
「次は屋根・外壁の修繕あるし」

母親
「それにキッチンのリフォームも
 待ってるみたいだから安心できないわ」

母親
「お父さんの定年も近いから
 老後資金どうしようかしら?」

母親
「智くんの親孝行期待しているわよ!w」

と笑顔で言っていました。

【ファイナンシャルプランナーになり15年目】

僕がこれまで走り続けて
これた理由は間違いなく、
家族に降りかかった体験が、
今の藤井の『原動力』となっています。

どんな家庭においても

『経済的な選択肢が多い家庭の方が良い!』

これは間違いない!

しかし、何よりも大事なことは

『家族の幸せのあり方』

について日々考える事だと思う。

『お金が全てではない。』
『しかし、お金があれば、
現実解決出来る事も多い』

 

これが僕の持論だ!

なぜなら身近に『母親という証人』がいるから。

「こんなはずじゃなかった・・・」

「転職して収入が下がる事なんて思いもしなかった」

「こんな家買うんじゃなかった。。。」

「いざという時の備えとして、もっと貯蓄をしておけば良かった」

「学費がこんなにも掛かるとは思わなかった。。。」

「老後資金を2000万円も貯めるなんて、冗談でしょ!?」

「お金の勉強をもっと早いうちからすれば良かった!」

母親が僕に放ったリアルな言葉です。

僕のファイナンシャルプランナー
としての『職業感』は

【過去の両親を救いたいと思うこと】

なのかもしれません。。。

 

タイムマシンなんてものがあれば
今すぐ戻り助けたいですが、
現実問題としてそれは叶いません。

だからこそ、今いるお客様の為
これから出会うであろうお客様の為にも

【コストカットよりも収入アップ・売上アップ】

ココも提案できる
FPになるべく自分の天命を
全うしていきたいと思います。

実話ストーリーを描いた
長文シリーズでしたが、

ここまでお付き合い頂き
本当にありがとうございました。

 

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藤井 智(ふじいさとし)
1万円のコストカットより
1万円の収入アップ売上アップ
を提案するファイナンシャルプランナー
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【第2話】こんな家建てるんじゃなかった。

FP藤井です。

【こんな家建てるんじゃなかった】

と言い放った母親の言葉から学んだこと。
というシリーズでお伝えしています。

前回までのあらすじはコチラ

【第1話】こんな家建てるんじゃなかった。

バスケットのスポーツ推薦で入学して
1年生ながら見事3年生に混じり
勝ち取ったユニフォームと補欠とはいえ
ベンチ入りした3年生最後の冬の県予選。

3年生が見事に
全国の切符を手に入れた!

僕は高校一年生ながら
既にバスケットボール歴7年間。

僕は念願の甲子園が決まった高校球児
のように興奮冷めやらずで帰宅した。

両親に向かって開口一番・・・

「全国大会決まったよ!」
「ウィンターカップ出場だ!」

自分が主力でもないし、
ベンチ要因だったけど、
3年生が見事に決めてくれた
全国の切符を手に入れた事。

そして
スラムダンクの赤木のように
長年の憧れだった全国大会に
行ける喜びを爆発させながら、
両親に報告した。

そこで父親からの衝撃の一言。

父親
「サトシ、お前は大会に行かなくてもいい」


「え!?」

耳を疑う父親の一言。

父親
「だってオマエ試合に出ないだろ」


「そうだけど、ベンチに入ってない
応援団の1年生も全員行くんだよ!」

「なんで俺だけ・・・」

父親
「2年生や3年生になったら、
また勝負出来るチャンスはあるだろ」

僕「・・・・・・」

小さい頃から打ち込んできた
愛すべきバスケット。

中学から毎朝練習に
取り組んでいたのも
父親も知っていたはずなのに
本当に意味が分かりませんでした。

結局、

【僕だけ本当に全国大会には行けなかった】

なぜ自分だけが
こんな理不尽な
仕打ちに合うのか?

本当に意味が分からなかった。

ベンチ入り出来すに観客席で
応援している同級生や
2年生の先輩もいたにも関わらず。

応援団でさえも応援するために
東京代々木体育館に行くのに、

「なぜ俺だけ・・・」

自分には出場権利はあるのに、
大会に出る事が出来ない歯痒さ、
いたたまれなさ、

そして意味不明の
理不尽すぎる親の言い分。

気がついたら感情が
大爆発して父親と
大喧嘩になっていた。

しかし、
後々分かった事ですが、
この理不尽な主張の原因は

『実は我が家のお金の事情』

だったのだ。

単純に言えば

【お金に余裕がなかった事】

スポーツ強豪校あるあるで、
毎週のように県外や
県内での練習試合。

連休は地方の大会参加や遠征などで

『毎週のように1万円』

近いお金が掛かっていた。

そして、
全国大会では東京への旅費代の他に
全国大会出場記念として
一新されるチームユニフォームと
練習用ジャージの費用など、

当時はそれなりにまとまった
お金が必要だったらしい。

我が家にはそんな余剰金は
なかったらしい。。。

ちょうどその頃、

大手建設業で勤めていた父親は

公共工事の激減で、
『転職』を余儀なくさせられた挙句、
給料もかなり下げられた
タイミングだった(らしい)。

母親もちょうどその頃は
小学1年生の弟が早く帰ってくるので、
(僕が16歳・弟6歳の10個違い)
自宅で見なければならず、
パートの仕事もままならかったらしい。

また、
家計を一番苦しめていたのは

【バカ高い住宅ローン金利】

当時の住宅ローンは銀行へ
『4%の利息負担』
をしなければならなかった。

3000万円の35年ローン
固定金利4%だと、

【月々約13万円の支払い】

支払いの内訳として・・・

元金返済=月々約7万円
(年間元金返済84万円)

利息返済=月々約6万円
(年間利息負担72万円)

今では考えられない
『金利と利息負担額』

当時はどこの金利もこんな感じだったらしく

【住宅ローンの元金+利息返済負担】

だけでもとてつもない金額になっていた。

しかし、
そうは言っても当時の僕は
思春期真っ只中の多感な16歳。

『家庭の経済的事情』

なんて、当然知る由もなかった。

『お金が原因』とはいえ、
全国大会にいけなかった事に
対してある種の両親を恨む
感情が芽生え始めた。

一気にバスケに対する
やる気をなくしていった。

部活にも顔を出さなくなり、
小学生から7年間、

ほぼ毎日続けていた
バスケも自暴自棄に
なって辞めてしまった。

その頃から・・・

タバコを吸って粋がってみたり、
ヤンチャな友達と連んでみたりと、
お決まりの悪い道に進み始めた・・・

その頃からだったと思う。

両親の夫婦関係がドンドンと
悪くなって家庭の雰囲気も
暗黒期となっていくことになる。。。

そんなある日
母親があの衝撃的な一言を言う。

『こんな家建てるんじゃなかった3』へと続く・・・