FP藤井です。
【こんな家建てるんじゃなかった】
と言い放った母親の言葉から学んだこと。
というシリーズでお伝えしています。
前回までのあらすじはコチラ
バスケットのスポーツ推薦で入学して
1年生ながら見事3年生に混じり
勝ち取ったユニフォームと補欠とはいえ
ベンチ入りした3年生最後の冬の県予選。
3年生が見事に
全国の切符を手に入れた!
僕は高校一年生ながら
既にバスケットボール歴7年間。
僕は念願の甲子園が決まった高校球児
のように興奮冷めやらずで帰宅した。
両親に向かって開口一番・・・
「全国大会決まったよ!」
「ウィンターカップ出場だ!」
自分が主力でもないし、
ベンチ要因だったけど、
3年生が見事に決めてくれた
全国の切符を手に入れた事。
そして
スラムダンクの赤木のように
長年の憧れだった全国大会に
行ける喜びを爆発させながら、
両親に報告した。
そこで父親からの衝撃の一言。
父親
「サトシ、お前は大会に行かなくてもいい」
僕
「え!?」
耳を疑う父親の一言。
父親
「だってオマエ試合に出ないだろ」
僕
「そうだけど、ベンチに入ってない
応援団の1年生も全員行くんだよ!」
「なんで俺だけ・・・」
父親
「2年生や3年生になったら、
また勝負出来るチャンスはあるだろ」
僕「・・・・・・」
小さい頃から打ち込んできた
愛すべきバスケット。
中学から毎朝練習に
取り組んでいたのも
父親も知っていたはずなのに
本当に意味が分かりませんでした。
結局、
【僕だけ本当に全国大会には行けなかった】
なぜ自分だけが
こんな理不尽な
仕打ちに合うのか?
本当に意味が分からなかった。
ベンチ入り出来すに観客席で
応援している同級生や
2年生の先輩もいたにも関わらず。
応援団でさえも応援するために
東京代々木体育館に行くのに、
「なぜ俺だけ・・・」
自分には出場権利はあるのに、
大会に出る事が出来ない歯痒さ、
いたたまれなさ、
そして意味不明の
理不尽すぎる親の言い分。
気がついたら感情が
大爆発して父親と
大喧嘩になっていた。
しかし、
後々分かった事ですが、
この理不尽な主張の原因は
『実は我が家のお金の事情』
だったのだ。
単純に言えば
【お金に余裕がなかった事】
スポーツ強豪校あるあるで、
毎週のように県外や
県内での練習試合。
連休は地方の大会参加や遠征などで
『毎週のように1万円』
近いお金が掛かっていた。
そして、
全国大会では東京への旅費代の他に
全国大会出場記念として
一新されるチームユニフォームと
練習用ジャージの費用など、
当時はそれなりにまとまった
お金が必要だったらしい。
我が家にはそんな余剰金は
なかったらしい。。。
ちょうどその頃、
大手建設業で勤めていた父親は
公共工事の激減で、
『転職』を余儀なくさせられた挙句、
給料もかなり下げられた
タイミングだった(らしい)。
母親もちょうどその頃は
小学1年生の弟が早く帰ってくるので、
(僕が16歳・弟6歳の10個違い)
自宅で見なければならず、
パートの仕事もままならかったらしい。
また、
家計を一番苦しめていたのは
【バカ高い住宅ローン金利】
当時の住宅ローンは銀行へ
『4%の利息負担』
をしなければならなかった。
3000万円の35年ローン
固定金利4%だと、
【月々約13万円の支払い】
支払いの内訳として・・・
・元金返済=月々約7万円
(年間元金返済84万円)
・利息返済=月々約6万円
(年間利息負担72万円)
今では考えられない
『金利と利息負担額』
当時はどこの金利もこんな感じだったらしく
【住宅ローンの元金+利息返済負担】
だけでもとてつもない金額になっていた。
しかし、
そうは言っても当時の僕は
思春期真っ只中の多感な16歳。
『家庭の経済的事情』
なんて、当然知る由もなかった。
『お金が原因』とはいえ、
全国大会にいけなかった事に
対してある種の両親を恨む
感情が芽生え始めた。
一気にバスケに対する
やる気をなくしていった。
部活にも顔を出さなくなり、
小学生から7年間、
ほぼ毎日続けていた
バスケも自暴自棄に
なって辞めてしまった。
その頃から・・・
タバコを吸って粋がってみたり、
ヤンチャな友達と連んでみたりと、
お決まりの悪い道に進み始めた・・・
その頃からだったと思う。
両親の夫婦関係がドンドンと
悪くなって家庭の雰囲気も
暗黒期となっていくことになる。。。
そんなある日
母親があの衝撃的な一言を言う。
『こんな家建てるんじゃなかった3』へと続く・・・